「ねえ、今すぐ会いたいって言ったらどうする?」
電話越しの声に、俺はまともな反応を返すことができなかった。放課後、友人達と別れて特に予定もなく帰路を歩いていた最中、突然かかってきた電話は足立さんからのもので、その電話の一言目が先の言葉だった。間違え電話だろうかと携帯の画面を確認してみたが表示されている番号は正真正銘彼のもので、電話越しとはいえ声も確かに足立さんのものだ。
「あれ? 繋がってるー?」
呼びかけるような声にハッとして携帯を耳元に戻す。
「つ、繋がってます。繋がってます、すみませんもう一度言ってもらっていいですか」
「嫌だけど」
戸惑う俺の事など構わずに足立さんはそう言い切って「ヒントを出すからその場所を当てて来てね」なんて話を進めている。全くもって理不尽なように感じるが、それでも俺は足立さんからの誘いを断るという選択肢を持っていなかった。足立さんとの関係は所謂恋人同士、というやつなのだけれど、俺の猛烈なアタックに彼が折れてくれただけで、あまり恋人らしい事はしていない。だからこそこの電話に驚いた。
足立さんの言葉を感動からうっかり聞き流していた俺は、慌てて聞き返す。
「ヒントって言いました?」
「うん、どうせだからゲームしようと思って」
「普通に会ったらいいじゃないですか」
「僕が普通に会いたいとか言うと思う?」
「思いませんけど……」
当たり前のように言うと、足立さんはけらけらと笑った。機嫌が悪ければこんな電話掛けてこないだろうけど、それでも足立さんは電話越しに分かるくらいにはご機嫌で、俺の勘が今すぐに会いに行かねばと告げている。気持ち背筋を伸ばして気合いをいれた。
「ヒントどうしようか、何か質問する?答えるから」
「そうですね、えっと」
「早くしないと時間切れにするよ」
「あっ、あー……その場所から何が見えますか」
「見えるものか。うーん、なんだろ、席かな。見えるってか居るんだけど」
「席ですか、足立さんの席、とかでしょうか?椅子ですか?」
「僕専用かはしらないけど居心地は悪くないし勝手に特等席だと思ってるぶんにはいいかもねえ」
「はあ、えっと」
「あんまりヒント与えすぎると面白くないので終わりでーす! 一旦切るから予想した場所に着いたらまた連絡してね、じゃ」
待ってるよとだけ告げられて、電話は切られた。足立さんの特等席……? 考える。いつも足立さんが居る場所といえば……俺はジュネスへと走った。
ジュネスにつくと、いつも通りあの軽快なBGMがかかっている。入口付近からフードコートまで向かってみた、そこそこ人で賑わってはいるが、足立さんの姿は見当たらない。見つからなかったので、着信履歴から足立さんに電話をかけた。コール数回で足立さんが電話に出る。
「もしもし? かけてきたって事は予想外れた? はは、ウケるねえ」
「ウケません。わかりません。もう少し詳しく教えてもらえませんか」
「じゃあヒントあげるねー。そうだなあ、うんうん。これ、ここから見えるものね…………このシリーズの新刊来週発売日なんだって、知ってた?」
「来週?」
「うーん、ちょっと難しいかな?でも難しい方が面白いからいいよね」
一方的に電話が切られた。シリーズの新刊……確か、シリーズもので買っていた本の最新刊の発売日が来週だった気がする。俺は商店街へと向かった。
……そうだよな、本の話をしたから本屋だなんて安直すぎる。あれから商店街の本屋に向かってみたが、例のシリーズの新刊発売のポスターは貼ってあるものの、肝心の足立さんはいなかった。また着信履歴から電話をかける。数コールで呆れた声が耳に入った。
「また外したの?」
「ちょっとヒントが少なくないですか? もう少しあるでしょう」
「ええー。じゃあ詳しく話してあげよっか。うん、僕は今座ってるよ。座ってる場所はベンチでもソファでも段差でも岩でも好きな場所を想像してね。あとはえっと……お腹空いたかな。ご飯時にくるとお腹空くんだよねここ、良い匂いするから」
「食べ物を売ってる場所っていう事ですか?」
「さあどうかな、でも美味しいよね、僕好き」
足立さんはどうでもよさそうな声色で告げる。
「…………とりあえずそれらしき所へは向かいます」
「はーい頑張ってね」
電話を切りながら、いないだろうな、と諦めつつも惣菜大学と愛屋を覗いた。やっぱり足立さんはいない。かけ直すには早すぎるかと思いつつも電話をかける。先程より数コール遅く、足立さんが怒ったような声で電話に出た。
「早くない!? ちゃんと探してるのお?」
「足立さん、移動してませんよね?」
「え~そういうの疑っちゃう?」
「この町に今までの全部当てはまる所なんてありますか……」
「あるって、分かっちゃえばすぐだと思うけどなあ」
「んんん……」
「ははっ悩んでるねえ」
けらけらと楽しそうに笑う声は可愛らしいのだけれど、誰のせいだと、と少しだけ苛ついてしまう。いけない、それでもこっちだってはやく足立さんに会いたいのだ。俺の苛立ちが伝わったのか、足立さんは仕方ないなあ、と続けた。
「可哀想だからもう少しヒントあげる。」
「……なんですか」
「うーんとねえ、そうだなあ。景色がいいね、個人的に。好きだな、たのしいから、個人的にね?」
「け、景色ですか……」
「うん。景色っていうか、見える…こう、ね。ヒント多くなっちゃうからこれくらい。がんばって。」
「……がんばります」
景色がいいところといったら、自然が豊かな場所だろうか。そう思って鮫川方面に行ってみるも、やっぱり足立さんの姿はない。高台の方だっただろうか。いいやでも、足立さんってそもそも自然とか好きだっけ。一応、都会から来たらしいし、前に話した時も田舎よりも都会という感じだったし。一体どこにいるのかと、もう一度電話をかける。こんなに足立さんに電話したのは今日が初めてだった。足立さんはなかなか電話に出ない。しばらくすると、やっとコールが途切れて足立さんが電話に出た。眠たそうな声があくびをしている。
「ふあ、なんか眠くなっちゃったよ……帰ろうかな」
「足立さん!」
俺が責めるような声を出せば、怒るなって、とおどけてみせる。怒ってはいない、焦っているだけで。
「今最初のヒントの、えーと、席からちょっと動いて横になってるんだけど、ああちょっとっていうのは本当にちょっとね。ここ寝心地いいなあ、流石に夜までは居座れないけどさ。僕が寝ちゃう前にはやく来てよ」
「もうすぐ夕方ですよ……一体どこに居るんです、本当に動いてないですか」
「ずーーーっとここにいるよ、なかなか会いに来ないんだもん。会いたくないの?」
「会いたいですよ!! だからこんなに歩き回って探してるのに……」
「律儀だね」
「はあ……次のヒントはなんですか」
「うん、その前に。これで見つからなかったら今日は会うのやめよっか、そっちも疲れてるでしょ」
「い、いえ!」
「嘘だあ。必死に息整えましたみたいな喋り方してるじゃない」
「…………俺足立さんに会いたいんですけど」
「はは、なら頑張ってよ。」
俺はヤケになって、街中走り回った。足立さんが居そうなところ、行きそうなところ、行ける範囲で何往復も。商店街を往復して、河川敷をダッシュして、神社の中を駆けめぐって、商店街を全力疾走してバスに飛び乗ると、運転手さんにちょっと怒られた。どんなに探しても、どこにも足立さんの姿はない。弾んだ息を整えながら、もう何度目なのかも忘れてしまった足立さんへの電話をかける。それでも電話越しの声は変わらず上機嫌だ。酒でも飲んでいるんだろうか。
「もしもーし」
「足立さん……もう教えてください……どこにいるんですか……」
「やっぱりここ、居心地は悪くないよね、特等席なんて言い方しちゃったけど」
「好きですか? そこにいるの」
「んー、はは」
誤魔化すように笑う。そこまでして今いる場所をバラしたくないのだろうか。
「ジュネスではなく?」
「もしかしてジュネス見に行った? あそこは快適なサボリスポットだよ」
「俺の予想が正しければ本があるみたいなんですけど」
「あーあるある、割と。君は本好きだっけ?」
「それなりに」
「へえ、今度オススメとか教えてよ」
「害虫図鑑いいですよ」
「なんか嫌がらせの予感するな~、読まないからいいけどね」
「で、料理が出されると」
「厳密には違うけど近い、うん。良い匂いがする。料理じゃなくても……好きかな」
「商店街は何往復もしたんですけど……他に町内にそんなとこありました?」
「わかんないかあ。ちなみに今君どこに居るの?」
「…………高台です」
「はは、登っちゃったんだ」
「登っちゃいました」
「……じゃあ、今日は縁がなかったという事で」
「ま、待ってください本当に会わないつもりですか!? ここまでしておいて!」
「君が気持ちで負けてるんじゃない?」
冷たく言い放たれて、ぐ、と言葉に詰まる。
「そんな筈ないです、ヒントが悪いです」
負けじと応戦すると、足立さんはちょっとだけ、本当にちょっとだけ申し訳なさそうな声をした。
「あ~、まあ、なるべく当たらないようにしてたしなあ」
「そっちから言っておいて!?」
「電話してるうちにもういいかな~みたいな気持ちになってたんだよね」
「…………足立さんがそういうつもりでも、俺は諦めませんからね」
絶対に今日会いたい。ここまできたらそう思いもする。会ったらすぐに抱きしめて、苦しいと言うまでキスをしてやる。恋人なんだから、ここまで振り回されたのだから、それくらいしたって許されるだろう。
「わかりました、今日は足立さんの家に泊まります」
「は?」
「この電話を切ったら叔父さんにすぐ許可をもらうので」
「ちょ、っと待って」
「ここまで歩かされて会えないなんて」
「あのね、ほら、菜々子ちゃん!菜々子ちゃん夜一人にできないでしょ」
「大丈夫です、今日叔父さんの帰り早かったはずなので」
「あ」
「では今夜行きますね」
今度は俺が、一方的に電話を切った。すぐに電話帳から叔父さんの電話番号を引き出して、通話ボタンを押す。仕事は早く終わると言っていたが、もう家にいるのだろうか、叔父さんはすぐに電話に出た。今日は足立さんの家に泊まりたいと告げれば、思ったよりも簡単に許可がおりた。それもそうか、信頼し合った相棒同士。なんとなく気分を沈ませていると、叔父さんが思い出したように付け加える。
「ああ、そういえば足立来てたぞ。勉強教える約束してた気がしたけど間違えたーとかいって何時間かお前の部屋にいたみたいだが、さっき慌てて帰って……どうした?」
「っすみません! 今日帰らないでそのまま足立さんの家行きます! 朝には帰るので!」
「お、おう?」
戸惑う叔父さんに失礼しますと叫んで電話を切る。高台からバスに乗り込んで、焦る足で彼のアパートまで走った。もしかしたら今からなら、俺のほうが早く着くかもしれない。
アパートの階段の下に、足立さんは立っていた。走ってくる俺の姿に気が付くとゲッ、と言って顔を引きつらせて、部屋に逃げ込もうとする。すかさず追いかけてタックルでもするかの様にその背中を抱きしめた。
「ちょ、待って! 外! 外だから!」
「家に入ればいいんですか!?」
「ま、まって、そうじゃない、逃げないから、逃げないからちょっとだけ離れて!」
「信用できません!」
「信じてって!」
足立さんの焦りように、疑いながらも離れる。はいりなよ、と彼がアパートの鍵を開けて部屋に通された。素直にお邪魔すれば足立さんも後から入ってドアを閉めた。
「あの……さあ……君、まさかまだ堂島さんに電話したりしてないよね」
「しました」
俺の言葉を耳に入れると、足立さんは顔を耳の方まで真っ赤に染めて、なんだか俺もつられて顔が熱くなった。なんだこれ。頬が熱い、この部屋、暖かすぎるんじゃないだろうか。
「マジで、バレるとは思わなかったっていうか、バラさないようにって元から思って電話かけてたからあんなこと、あー……」
彼が口元を抑える。そのしぐさも赤い顔も、可愛らしくて愛おしくて、胸が高鳴った。恋ってすごい。心臓がやばい。彼が電話口に言っていたこと、特等席だと思っていること、いい匂いがすること、いい景色だと思っていること、居心地がいいこと、それが全部、その場所の答えが自分の部屋だったという事に口角があがって戻らない。つまり、顔のにやけがとまらない。どうしたらいいんだ、これ。珍しく慌てた様子の足立さんが口を開く。
「ごめん、むり。やっぱ今日は帰って!」
「む、むりです!」
ばくばく波打つ心臓をそのまま抱きしめると、足立さんは赤い顔を両手で覆って唸った。
「ほんと、きみ、きらい!」