主足

【主足】 see you all

you see all のおまけ

 彼の告白から、まだ数時間といったところだ。カーテンから透けた光がまぶしく寝返りをうつと、クローゼットから引っ張りだした布団で眠る彼の後ろ姿。彼は、返事は今すぐじゃなくていい、なんていいながら明らかに焦っている様子だった、あやうくすぐ返事してやろうと思ってしまったくらいに。ぼうっと彼の背中をながめていて、ふと思いついてベッドから抜け出した。そうっと布団に潜り込む。背中に感じる優しい体温。人と眠るなんて、どんなに記憶をたぐってもハッキリとは思い出せなかった。
「あ、足立さん?」
「あれ、起きてたの……」
 背中の彼が驚いた声色で身動ぐ。僕は居心地悪そうな彼にべつにいいでしょ、と言い捨てた。
「ねえ、抱きしめてよ、僕のこと好きなんでしょう」
 自分でも小さな子供みたいだなあ、と思いながらそう口にする。小さな頃はこんなおねだりをした事があったっけ。覚えていないや。
「そうですね、好きですよ」
 語尾をはっきり告げて、そのまま続ける。
「貴方への好きが恋愛感情なのか、家族愛のようなものなのか、それとも同情なのか、今の俺にはわかりません。それでも、好きです。好き」
 好き、好きと、耳の近くで喋られるとくすぐったかった。彼は背中合わせのまま動く気配はない。
「ねえ、今日休みなんでしょ」
「はい」
「もう少し寝てよう」
 悠くんは優しい声でもう一度、はいとこたえた。

「何か話しませんか」
「寝ないの?」
「もう眠くないでしょう」
「それもそうだ。しりとりする? りんご」
「え? ご、ごみ」
「ゴミって……。巫女」
「こ……木の葉」
「花火」
「あ。」
 悠くんは何かを思い出したような声を出してしりとりを中断する。僕がどうしたの、と聞けば、彼は突拍子もない事を言い出した。
「足立さんと、花火みたいな」
「いきなり何さ」
「いえ、あの。俺は……春に花見をして、ほろ酔いで陽気なあなたを見たいし、夏に花火大会に行って、屋台の食べ物片手に貴方と花火が見たい。秋は紅葉狩りとか、月見もいいですね。冬はクリスマスもありますし、あなたと雪の上を歩きたい。それだけなんです、ごめんなさい」

「あのさ」
 あやまらないでよ。悠くんの方を向くよう寝返りをうつ。思っていたよりも遥か近くに彼の顔があり内心おどろいたが、気にならないような顔を作り続けた。
「僕も君と花火、みたいかも。他の事も。どう?」
 これは告白の返事になっているのだろうか。いや、本人でさえわからない感情の返事も何も。ただ、僕はなんだか、寝起きの微睡みと心地良いひとはだに、これが返事でもいいかななんて思ってしまっていた。

……

 数日後の彼の行動に、僕は目を見開いて、おかしくて笑った。どうしたのそれと聞けば、真面目そうな顔で花見用の花とお酒ですなんて言っている。彼は桜色の、名も知らない花を集めた花束と、缶ビールをいくつか買ってきた。
「はは、桜じゃないじゃん」
「流石に売ってなくて。飲みましょう?」
 花束を机に置いて、その前に缶ビールを。プシュ、と缶を開ける音と共にちいさな花見が開演した。花見といっても、色が似ているだけの花で桜ではないが。悠くんが昔を懐かしむような顔で話しだした。
「初めてあったのは春でしたね、貴方、吐いてて。」
「その話する?」
「ええ。俺と足立さんの話ですから」
「そう」
「俺、突然田舎に引っ越してきて、馴染めるか不安で」
「うん」
「足立さんが家に来る頃には大分馴染めてほっとしましたけど、でも、」
「でも?」
 止まった言葉の先を促す。彼は羞恥なのか酒なのか、頬をほんのり桜色に染めて、やわらかく微笑んだ。
「足立さんとどう接していいか迷ってたんですよ」
「ふうん、そうだったの」
「自分でもハッキリとは分かっていませんでしたけど、確かに貴方に惹かれていましたから」
 にこりと笑う顔を睨みつける。そんなにポンポンと恥ずかしい言葉を出すんじゃない。あの時の春について話し込むうちに缶ビールは空になり、随分久しぶりにアルコールを飲んだこともありふわふわと宙にういたような気分になる。酒ってこんなんだっけ。隣に座る悠くんの肩にもたれ掛かった。
「眠いですか」
 頭上からやわらかい、やさしい声がする。良い気分で目を瞑った。ふふ、と笑いが漏れる。僕じゃない誰かもそこで笑っているような気がした。

……

 また数日たって、今度は僕の部屋に夏が来た。季節の話じゃなく、悠くんの気まぐれの夏だ。
「花火を買おうと思ったんですけど、このあたりだと出来ないかなと思って。」
 彼が取り出したのは色が変化するキャンドルと、花火の模様のキャンドルケースだ。
「少しでも花火気分を楽しもうってか?」
「ええ、サンプルを見たんですけどとでも綺麗でした。足立さんとも見たくて」
「あっそ」
「電気消しますね」
 彼が部屋の明かりを暗くして、キャンドルに日を灯した。キャンドルケースの隙間から漏れる光は、ゆらゆらと揺れ動きながらも綺麗に花火のような模様を描いている。
「ありましたよね、花火大会。足立さん、残業でしたっけ」
「ああ、うん……堂島さんが菜々子ちゃんと行くって言うからさ」
「優しいですね」
「そういうんじゃないよ」
 花火の音がうるさいと、苛つきながら仕事をした事を思い出した。キャンドルなら、音が出なくていいな。音の大きい花火も、きれいに見えるのなら別にそれで構わないのだけれど。思い出に浸っていれば、悠くんの声に引き戻される。
「あ、あとキャベツ。足立さんがキャベツ買い過ぎたって」
「あーああ、安くてカサ増しできるからさあ。買ったなあ。使い果たせなくて困ったけど」
「足立さん好きですよね」
 にこにこと笑う顔、どう説明してやろうかと眉間にシワが寄る。
「………………嫌いじゃない」

……

 帰ると鍵が開いていて、ああ彼かと思って部屋に入れば、その彼は椅子に乗って部屋の電気をいじっていた。
「電球切れてた?」
「あ、おかえりなさい。いえ、ちょっと。すぐ戻すので許してください」
 すぐ戻す? 疑問に思って下から眺めていると、彼が椅子から降りて電気をつけ直した。オレンジ色の光が部屋を包み込む。
「なにこれ」
「オレンジ色の電球です。あとこれ」
 彼は造花の紅葉をビニール袋から取り出した。それを空の花瓶に飾って机の上に置く。
「造花じゃん」
「流石に本物は紅葉してませんでした」
「見に行ったの?」
「はい」
 彼の困り顔が、あまりに間抜けでつい口元が緩んだ。ここまでくればわかるけれど、彼はこの部屋に四季を再現しようとしている。オレンジ色の部屋で、オレンジ色の葉を見つめながら彼が口を開いた。
「秋は……何があったかな、色々ありすぎて。ああ、ハロウィンですかね」
「部屋は紅葉なのに」
「稲葉にモミジってありました?」
「あったでしょ」
 いや、なかったっけか。思い返してみると、紅葉は見たような気がしないでもないが……モミジと言われると……残念ながら記憶にない。あ、あと、と彼が楽しそうに話を続ける。
「ハロウィンの飾り付け手伝ってくれって頼まれて、なかなか完璧にこなしたんですけど、実はハロウィンフェアが中止になってたって事があったり」
「はは、君らしいね」
「どういう意味ですか」
 首を傾げる彼の前髪を撫でて、垣間見えた額にデコピンをお見舞いした。
「お人好しってこと」

……

「おいおいおい……なんだこれ。」
 帰宅した部屋の様子に、今度は流石に驚いた。今までも驚かないわけではなかったが、これは度が過ぎているというか……今までとは訳が違うというか。部屋中とはいわないものの、布団、机のまわりといった普段の生活スペース全体に雪綿が敷き詰められていた。机上には小さなクリスマスツリー。
「おかえりなさい。片づけは俺やるので、怒らないでくださいね」
「それならいいけど……いやいいのか……なにこれ……」
「雪綿です。」
「そりゃわかるけど」
「取り敢えず座ってください」
「どこに」
「綿の上でもどこでも」
 話をしましょう、彼が腕を広げて笑った。僕は彼が座る机の向かい側に腰を下ろして足元の綿をつまんでみる。当たり前だが、少しも冷たくない。
「菜々子と雪だるまつくりましたよ、クマの。あと、風邪引いたりもして。スキーに行って」
「ずいぶん満喫してたんだね」
「はい、すこし、寂しい気持ちもありましたけど」
「…………」
 彼の昔を懐かしむような顔が喉に詰まった。

「稲羽の雪、ちゃんと見なかったなあ」
 寒々しい空を思い返す。あそこに雪がしっかりと積もった頃には、その時にはもう、捕まってたっけ。

 彼はあの一年の四季を話せど、事件の事については少しも触れなかった。ズキズキと胸が傷む。机の下で指を組んだ。霧はもうかからない、救う神なんていない、赦しは請わない。祈るのは、故人と、遺された人間と、自分が犯した罪に対して。呼吸と罪悪感を縫い合わせた生活は、はたして、贖いになるのか。
「ああ……」
 ふ、とため息を吐く。彼の方を見るとぎょっとした顔をしていて、なんだか笑えてくる。そんなに酷い顔をしていただろうか、机を挟んで座っていた彼はすぐに僕の横まで移動して、僕を抱きしめて背中をさすった。
「足立さん」
「君は今でも僕が憎い?」
「はい」
 悩む様子もなく彼は即答する。
「……僕はあの事件を忘れなくていいの」
「はい、いいんです。俺がずっと、憎んでますから」
「はは、隣で憎まれてたら、幸せにはなれないね」
「それでも、平穏ですよ」
 やさしく、やさしく彼の手が背中を這う。このやさしい役目は、このやさしい役目を務めるのは、はたして彼でいいのだろうか。僕を憎んでいるうえで好いているという、彼で。嗚咽と鼻をすする音が部屋に落ちる。ぼやけた視界で目を開けると、そこは雪綿がしきつめられていて、それがぼやけて本物のようで、あの冬に、自分が、生きているようだった。

 彼は背を擦る手を止めない。背中が暖かくてうとうとした。まったく、子供みたいだ。どっちが年下なんだか。
「ゆうくん」
 呼びかけると彼はやっと手を止めて、僕の身体から少し離れて僕を見る。この全てを見据えているような目が大嫌いだった。凛とした表情が嫌いだった。地に足をついて踏んばって立っている姿に、いらついて仕方がなかった。僕の目を見るために、離れた彼の身体が名残惜しい。もっと、体温がほしい。やさしい人肌が。僕を許して許さない、彼の温度がほしい。
「足立さん?」
 不思議そうな顔をしている。それもそうだろう。彼の目にうつった僕は、目尻を赤くしていかにも泣いたあとといった風貌だった。ばかみたいだ。なんだか、おかしくなって笑い声が漏れる。
「悠くん、僕の目を見ててね」
「はい……っ?」
 彼の目は全てを見据えてなんかいなかった。そう見えたのは、彼が言う絆というものが彼を周りから支えていたから。悠くんの瞳を見つめながら、僕は彼に触れるだけのキスをした。彼は僕が離れたあとも状況を読み込めていないようで、ぱちくりと瞬きをする。その身体に抱きついた。あたたかい。こどもみたいだ。どっちが? そんな事はどうでもいい。
「あ、あだちさん……」
「なあに」
「今のは、返事と捉えて、いいですか」
「好きにしてよ」
「い、いやです」
 悠くんが僕の身体を引き剥がす。驚いていると、彼は僕を真正面から見つめてこう言うのだ。
「いいですか、貴方の気持ちは言葉にしないと俺まで伝わりません。でも、いきなり無理だというなら言葉にしろとはいいません。俺の告白への返事がOKなら、目を瞑ってください。わかりますか?」
 真剣な悠くんにこくこくと頷く。頷いて、そっと目を瞑った。生唾を飲む音が聞こえた気がする。唇に、温かいものが触れる。それが何なのか考えるまでもなくわかった。さっきも同じ行為をしたのだし。少し長いキスを終えると、悠くんが僕に抱きついた。そのハグは力強くて、痛いくらいだ。

「ねえ、もう、目開けてもいい?」
 今は偽物だとしても、君とゆっくり雪がみたいな。