主足

【主足】そうじゃない。

 垂れ流されている水音と、食器のぶつかる音。風呂上がりの湿った髪を肩にかけたタオルで撫で付けて、キッチンを横切った。頼んでもいないのにいそいそと働いている彼に「手伝おうか」とでも声を掛ければいいのだろうか。いつのまにか平然と居座るようになってしまった高校生は一応自分の上司の、堂島の甥であり、無下にするわけにもいかないだろうと甘やかしてるうちに、こう、調子にのったような気がしている。

「君働くの好きだね」
「あ、どうも。すみません勝手に」
 呆れた声色に気付いているのかいないのか、困ったような顔をしてこちらを向いた。横を向きながらも皿洗いの手が止まっていないのは、流石といっていいのだろうか。
「いいよ、皿洗い面倒だから助かるし」
 実際料理も皿洗いも仕事だとかを理由におざなりにしがちなので、こうして鳴上くんが時々鍋やらを手に訪ねてきて食器を洗い片付ける所までしていくのは便利だなあと思っていた。居間へ繋がるドアノブを掴んでから、ふと思い出して振り返る。
「ねえ君今日泊まる?」
「いいですか」
「駄目って言っても帰らないでしょ」
「すみません」
 謝る気もないくせに、とため息をつく。僕がシャワーを浴びに行っても帰る様子が無い時、彼は大抵泊まっていこうとしているのだ。
「もう少しキッチン借りますね」
 にこりと笑う彼の傍らには食材を買ってきたのであろうジュネスのビニール袋。料理の練習中らしい彼は僕の家を練習台に使ってはおこぼれをくれるので、キッチンを使う事を度々許している。
「何作るの」
「内緒です」
 ふうん、と言って扉を締めた。

 気付けば窓の外は薄暗くなりつつあって、そろそろカーテンをしめて部屋の電気をつける頃かと思いながらもどうも、動くのが面倒臭い。明かりのついたキッチンで彼は何をしているのだろうかと考える、最近凝っているらしい料理を、なかなかに美味いだろうと堂島も自慢気に語っていた。なんとなく物ぐさで湿ったままの髪を掻くと、彼が扉を開けて顔を覗かせる。

「足立さん、ウインナーはクマさんとウサギさんどっちがいいと思いますか」
「は?」
 聞き間違えかと思い間を置かずに聞き返す。悠は真顔のまま淡々と同じ言葉を繰り返した。
「ウインナーはクマさんとウサギさんどっちがいいと思いますか」
「聞こえてるってばそうじゃないよ。何? 菜々子ちゃんの遠足でもあるの……」
「いえ、レシピを調べたら出てきたので楽しそうだなと」
「僕の家のキッチンで遊んでる?」
「明日の朝ちゃんと足立さんのお弁当も作りますから。ウサギさんでいいですか」
「いらねーよ、いや弁当は有難いけどウサギウインナーは入れないでよね。何考えてるの?」
「可愛くないですか」
「君が僕に作る時点で可愛くもなんともない」
「………………確かに?」
 真剣に首を傾げている。馬鹿じゃないのと言ってやると、ムッとしたような顔で講義された。
「俺が好きでつくってるんだからいいじゃないですか、別に誰かにお弁当見せるわけじゃないでしょう?」
 そりゃあそうなんだけどさ。堂島さんにのぞき込まれたりしたらなんて言われるか……いや、堂島さんの弁当もこいつが作るのか。それはなんだか面白そうではあるけど……。
「とにかく、ウサギさんウインナーは入れんな。」
「……わかりました」
 悠くんは納得していないような顔で引っ込んでいった。

 近くにあったリモコンを手にとってテレビのスイッチをつける。適当にバラエティだかなんだかをぼうっと見つめていると、彼が居間に戻ってきた。ウサギさんウインナーの試作を諦めたのでやることがなくなったのだろう。シャワー浴びてくれば、とテレビを見ながら聞けば、素直に応じた。
「スウェット、いつもの借りますね」
「んー」

 彼が風呂場に消えて、間もなくシャワーの音。どうしてこう、彼がここに居ることを許してしまっているんだろう。居心地が悪い訳ではないけれど、ほら、こうして干渉してくるような子は好きなタイプではないし。ハッキリ言ってしまえば嫌いな方だ。構われても、どうしていいかわからない。まして、歳下なんかに。
 初めは確か、多分、勉強を教えるとかで。僕はその日うっかり時計を見るのを忘れていて、机の上に広げられた問題集が大方埋まったあたりであ、と思って見上げた壁掛け時計は高校生が外出しているにはよろしくない時間を示していて。こんな時間まで、しかも連絡もせず高校生を帰さずにいたのだから、堂島さんに怒られるのを覚悟して震えると、「今日は足立さんの家に泊まるって連絡してきたので大丈夫です」と彼はさも当たり前のように告げた。何勝手に泊まること決めてるんだとも思ったが、怒られずにすみそうだったのでまあいいかと泊めたのだ。その日は布団だけ貸した。

「お風呂お借りしました」
 シャワーが済んだらしい彼が僕のスウェットを着て風呂場から出てくる。髪はきっちり乾かしてあって、几帳面な性格が伺える。仕方なく貸してやっているスウェットの裾は少し短いようで、足首が空気に晒されていた。畜生、モデルみたいなスタイルしやがって。
「……今度は自分のパジャマ持ってくれば」
「あ、そしたらここに置いておいてもいいですか」
「何で?嫌だよ」
「洗濯もしますよ」
「あー……あー今一瞬承諾しそうになった、このままだと駄目になっちゃうよ僕」
「駄目になってくださいよ」
「やだね」
 鳴上くんは平然と隣に座る。テレビは相変わらず興味のないバラエティ番組が流れていた。ゲストが馬鹿みたいに大笑いしている。

「なんかさあ、一々面倒なんだよなあ。布団敷いたり干したりしまったり」
 スウェットを貸したり、洗濯したり、干したり、畳んだり。料理が出てきてそれを食べたり、食器がいつのまにか運ばれていたり、食器棚のコップの位置が変わっていたり。ゴミ箱に知らないレシートが増えたり。僕は使っていないシャー芯が落ちていたり。
「布団は俺がやってますけど……」
「ああ違う違う、僕がやるのがとかじゃなくて。なんだろ、鳴上くんが布団敷いてる間とか、畳んでるのとか。干されてる布団とか見ると、こう。わかんないかなー」
「はあ……」
「うん。うーん……そうだなあ」
 首をひねっているうちにテレビCMが流れ出した、家具販売のメーカーのものだ。セミシングルベッド、15000円。割と安い。でもこういうのってせっかくなら高いの買ったほうがいいのかなあ。
「ねえベット新しくしたら一緒に寝る?」
「はい?」
 悠の素っ頓狂な声が返ってきて、僕もその声にきっと間抜けな顔をして、妙な沈黙がその場を包む。
「…………今のはおかしかったな……」
「そ、そうですね、別に俺は一緒に寝てもいいですけど」
「や、やめろお前」
 微妙な空気を払うように一蹴して頭を降る。隣に座っていた彼が立ち上がった。
「布団、敷きますね……」
「……うん」

…………

 昼休憩、ランチに行こうかと席を立つ前に、鞄の中の物を思い出した。バンダナに包まれた弁当箱。多分、堂島さんにも同じものが渡されているんだろう。朝玄関の前で、彼と別れる際に行ってらっしゃいと言われて、むず痒いような気持ちで君もねと返した事を思い出した。その時に一緒に渡されたものだ。早起きして作っていたみたいで、なにやらキッチンで音がするのを朝の微睡みのなか聞いていた。
 ため息をついてからそれを鞄から取り出して、丁寧に結ばれたバンダナを解く。シンプルな弁当箱を開くと、そこに目立っているのは可愛らしい、クマの形をしたウインナーがふたつ。

「クマならいいって訳じゃないんだよ!」