主足

【主足】メリーメリーメロウ

※メリバ

 空から見慣れた町が落ちてくる。赤と黒で構成された狭い空を、俺はきれいだと思った。崩壊した建物、散乱しているのは文字が掠れて読めない看板や、標識。時々見た事があるようなものもあったが、今はそんなことどうでも良かった。時間がない、そんな事は誰が見ても分かることだ。息を切らして走る、胸は苦しいのに、ゆめを見ているみたいにふわふわとしたきもちだった。どうせもう全て終わるんだから、大丈夫。
 暫く走っていると崩壊した建物のひとつ、その物陰にようやく目当ての人を見つけた。息を整えながら歩み寄る。その人は僕に気が付くと軽く溜息をついてから、もう遅いよとヒステリックに笑う。
「わかっていて来たんですよ」
「うん? どういうこと? 世界の終わりを僕と過ごそうって? まさかね」
「そうです。貴方に会いに来ました」
「へえ……」
 真剣な俺の言葉を嘲笑うような顔をして、彼は頬杖をついた。
「ちょっと付き合ってやったくらいで、そこまで執着されても困るんだけど」
「どうでしょう。案外俺が来るのを待ってたんじゃないですか」
「……君、お仲間たちはどうしたの。仲良くやってたじゃない、この一年さあ」
「足立さん」
 問い掛けを遮って彼の名前を呼ぶ。足立さんは自分の言葉が遮られた事に対して一瞬ムッとした顔をして、それでもすぐになあに? と笑い返した。その笑顔が本心では無いことは分かっている。俺は足立さんのその顔を正面から見据えられるように駆け寄った。
「貴方に、会いに来ました」
「だからなに? さっきも聞いたけど」
「貴方を追い掛けて、捕まえて、逮捕させる事だって出来たかもしれない。貴方はわざわざ期限まで伝えてくれていたんだから。でも、それをしなかった。全部、捨ててきました。」
 足立さんは決まりが悪そうに顔を背ける。
「俺は世界よりも貴方が好きですよ」
「…………」
「一年闘ってきた仲間より、この町で仲良くなった人たちより、血の繋がりのある菜々子や叔父さんより、貴方を選んでしまいました。選びに来ました」
 俺が足立さんの手を握ろうとすると、彼はそれを振り払って低い笑いを零した。
「ほんっとうに何で君はさぁ……」
 彼が頭を抱えて項垂れる。片手で額を抑えて、もう片方の手で髪を掻き毟って。
「何でこんな事になっちゃうかなあ! 俺はさぁ、そりゃあこのまま世界を滅ぼそうとしてたけどさあ! 君の事は、君の事はッ……」
「あだちさ、」
「君なら、僕を虚無から引っ張りあげてくれるかもしれないって、少しはそう思ってたのになァ」
 静まり返った世界に、掠れた声がいやに響く。足立さんとは、単なる仲のいい知り合いではなかった。勉強を教えてもらううちに、夕飯に招待するうちに、他愛ない話をするうちに徐々に距離が縮まって、気が付けば随分と親しい仲にまで熟していた。その心の奥深くの闇には、今日まで触れさせてもらえなかったけれど。

「ふふ、足立さん、俺の事信じてくれてたんですか」
「なに笑ってんの」
「ごめんなさい」
 拗ねたように睨む足立さんの手をとると、今度は振り払われなかった。諦めたような細い声が疑問を呈する。
「……何がしたい」
「結婚式とか、どうですか。終末の結婚式。牧師も参列者もいませんけど」
「へえ、指輪はないの」
 その言葉に俺が数度瞬きをすると、足立さんは耳たぶを少しだけ赤く染めて、「今のなし」と狼狽えた。俺はその姿が愛おしくてたまらなく、逃げようとする身体を抱き寄せる。
「足立さん。世界で一番好きです」
「もうなくなる世界でも?」
「ええと、じゃあ、宇宙ですかね……いや、この世? いえあの世でも」
「ハハ、君さあ……」
 足立さんが俺の背中に手をまわして、そのままやさしく、やさしくさすった。
「全く仕方がない子だね、悠くんは」
 一番好きだなんてはじめて言われた、呟くように零した声にどきまぎする。
「お、俺も、はじめていいました」
「僕も嫌いじゃないよ。うん、好き」
 これでもう全てが終わりだからなのか、今日の足立さんはいつもより素直だった。抱きしめ合う腕を少し緩めて、鼻と鼻が擦りつくくらいの近さで見つめ合う。
「キスする?」
「な、何で聞くんですか!」
「あっはは、やっぱ子供だよ。んっ、ふはは」
 俺が拗ねているのに目もくれず、足立さんは心底楽しそうに笑い声をあげた。はじめてみるみたいな純粋な笑顔に目頭が熱くなる。
「透さん」
「ん」
 まだ笑いが収まらない、みたいな顔をした足立さんに無理やり唇をかさねる。カサついた唇は砂ぼこりのにおいがした。
「んふ、透さんだって。」
「貴方も悠くんって呼んでます。いいでしょう」
「いーよ。はは、なんか、楽しくなってきちゃったなあ。どうしよ」
「大丈夫です、もう、全部終わりますから」
 それから俺たちは、落ちてくる空に見守られながらどちらともなく笑いを溢してでたらめに踊って、抱き合った。赤と黒の世界。崩壊した建物に散乱する看板や標識、最後に聞いたのは愛しい人の愛しい笑い声。最後に見たのは愛しい人の愛しい顔。